一国一社八幡宮・国府八幡宮の調査・研究
独自の調査に基づき、完全にゼロから作成し直した一国一社八幡宮・国府八幡宮のリストです。そのため、一般的に認定されているものとは異なる結論になっているものが多々あります。一国一社八幡宮と国府八幡宮はあまり区別されずに使われる用語ですが、ここでは完全に別の概念としています。
一国一社八幡宮 | 各律令国において一番最初に創建された八幡宮。基本的に、聖武天皇の一国に一社ずつ八幡宮をおくという構想に基づき、宇佐神宮またはその分社から八幡神を勧請した神社とする。 ただし、例外として、宇佐神宮創建以前から存在する八幡宮、宇佐神宮とほぼ同時期に勧請によらずに創建した神社は全て一国一社八幡宮とし、これらには社名の後の「◎」で示す。ただし、この例外において、宇佐神宮創建よりも古い時代に宇佐神宮から勧請したことになっているなどの矛盾した由緒、信憑性が低いと判断した由緒を持つ八幡宮は論社扱いとする。 また、この例外が存在する律令国においては、宇佐神宮以降に創建された八幡宮は一国一社八幡宮とは扱わない。 |
国府八幡宮 | 各律令国の国府またはその近くにおかれた八幡宮のうち、最も創建が古い八幡宮。ただし、後からより近い場所にこれに代わる八幡宮を創建したと推定できる場合はこれも認める。なお、国府は奈良時代から平安時代までの国庁所在地なので、鎌倉時代以降に創建された八幡宮は本来の国府八幡宮ではない。 |
中世国府八幡宮 | 各律令国の国府またはそれに相当するもの、あるいはその近くにおかれた八幡宮のうち、鎌倉時代以降に創建された八幡宮で、本来の国府八幡宮と同様の地位を得たと考えられるもの。 |
国分八幡宮 | 国分寺守護の八幡宮。 |
各律令国ごとに、特別に重要な八幡宮、特別に創建が古い八幡宮について、由緒や創建年、八幡神の勧請年を調査した結果としてリストを作成しています。日本全国の全ての八幡宮を完全に調査することは不可能ですので、調査漏れ等が発生している場合があります。従って、あくまでも現時点での結論であり、後々リストが書き換えられる場合があります。何か新しい発見があれば随時更新します。
一国一社八幡宮としては各律令国ごとに調査した中で最も創建が古い(またはその可能性がある)八幡宮を必ず記載し、国府八幡宮についても従来のリストでは空欄となっているようなものも、できる限り可能性を追って論社を立てるように努力しました。
創建時から八幡神を祀る場合は勧請年は空欄、そうでない場合は八幡神を祀った年を勧請年としています。[]内は推定の場合、*は創建年、勧請年、由緒等の信憑性に疑問が持たれるものです(宇佐神宮創建前に宇佐神宮から勧請など)。私年号「白鳳」を使用している場合、全て白鳳元年は672年としました(「天武天皇の白鳳年間」という表現が多く、ほかの説だと矛盾するため)。
確度を★5つから1つで示し、5と4は比定。2は通常の論社、論社の中では確度が高いものは3、低いものは1としています。確度5でも100%ではありません。
ここに記載している以外の神社も大量に調査しており、全ての律令国について、調査を行った対象神社やその内容、そこからどのような判断をしたかについても書きたいのですが、ここでは結論としての比定社・論社と簡単なコメントのみにとどめます。
また、そもそもどうしてこのような考え方に至ったのかについては、以下のメモを参照してください。最初は素朴に国府周辺の八幡宮を探すことから始まったのですが、調査が進むにつれて次第に深い考察になっていきます。
■国府八幡宮に関するメモ
■国府八幡宮に関するメモ2
■国府八幡宮に関するメモ3
畿内
山城国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
平岡八幡宮 | 村社 | 809 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |
離宮八幡宮 | 府社 | 859 | 宇佐神宮 | 国府八幡宮 | ★★★★★ | |
石清水八幡宮 | 官幣大社 | 860 | 宇佐神宮 | 国府八幡宮 | ★★★★★ |
離宮八幡宮は861年以降の国府推定地にあり、国府移転に合わせて創建された可能性がある。石清水八幡宮は離宮八幡宮から遷座。平岡八幡宮は空海が宇佐神宮より勧請して創建した山城国最古の八幡宮。
大和国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
手向山八幡宮 | 県社 | 749 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 国分八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
|
郡山八幡神社 | 749 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
薬園八幡神社 | 749 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
高山八幡宮 | 村社 | 749 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |
治田神社 | 式内 | [-900] | 国府八幡宮[論] | ★ | ||
板蓋神社 | 不明 | 国府八幡宮[論] | ★ | |||
八幡神社 [橿原市見瀬町] |
不明 | 国府八幡宮[論] | ★ |
手向山八幡宮は総国分寺である東大寺の守護八幡宮であり、その創建時に宇佐神宮から勧請した神霊を乗せた神輿が数ヶ所に寄って、同時期に4社の八幡宮が創建された。国府は何度か移転していると推定されているうえに、具体的な場所も特定されていないが、平安時代は高市郡にあったとされ、これは橿原神宮から南、明日香村や高取町あたりまでと思われるが、この辺りには八幡宮がほとんどない。明日香村岡寺近くの式内治田神社が応神天皇を祀るが、創建時から祀っていたかは不明。板蓋神社は創建不詳、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀り、皇極天皇・斉明天皇の板蓋宮と関連か。橿原市見瀬町の八幡神社は創建不詳で、当社境内地の一部が応神天皇の軽島豊明宮跡に含まれると推測されている。
河内国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
誉田八幡宮◎ | 府社 | 559 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
藤井寺市国府の國府八幡神社は江戸時代初期に壺井八幡宮から勧請して創建されており、新しすぎる。そもそも誉田八幡宮が国府から充分に近い。
和泉国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
百舌鳥八幡宮◎ | 府社 | 532-571 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
泉井上神社 | 総社・府社 | 200 | 不明 | 国府八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★★ ★★★ |
百舌鳥八幡宮は神功皇后が三韓征伐の帰途で幾万代までも天下泰平民万人を守ろうと誓願を立てた場所で、欽明天皇の御代に八幡神の神託によってこの地をを万代(もず)と称して神社が創建された。泉井上神社は神功皇后の行啓時に急に清い水が湧き出し、霊泉として宮を造って祀ったのを創祀とする。これが和泉国の由来でもある。八幡神を祀った時期は不明だが、欽明天皇の御代に諸国の神功皇后ゆかりの地に八幡宮創建の勅命があったので、百舌鳥八幡宮と同時期の可能性も考えられる。ほかには紀伊国の木本八幡宮なども同様の由緒を持つ。
摂津国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
御津宮 | 郷社 | 749 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★ ★★★★ |
御津宮は手向山八幡宮創建の際、神輿がこの地に上陸して一時安置された場所。後にこれを御津八幡宮と改めたと伝えられる。摂津国府は大阪市天王寺区や中央区と推定されており、国府にも充分近い。六甲八幡神社は国府推定地にないし、創建不詳であり、古い方の1026年創建説でも摂津国内で最も古い八幡宮ではない。一国一社と呼ばれたのかもしれないが、ここでの定義には当てはまらない。
東海道
伊賀国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
八幡神社 [伊賀市守田町] |
[499-506]* | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★★ ★ |
|||
須智荒木神社[合] | 式内・郷社 | 国府八幡宮[論] | ★ |
国庁跡の周辺に八幡宮が存在しない。一宮~三宮は近いが八幡神は祀られておらず、境内社にも見つからない。伊賀市守田町の八幡神社は国庁跡から最も近い現存する八幡宮。創建年代の信憑性は高くはないが、それでも充分に古いと思われる。須智荒木神社は八幡宮ではないが、明治四一年近隣の二九社を合祀しており、合祀された祭神に誉田別命が含まれる。
伊勢国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
江島若宮八幡神社 | 村社 | 897-930 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮[論] |
★★★★ ★ |
|
三宅神社[合] | 総社・式内 | 国府八幡宮[論] | ★ | |||
酒井神社[合] | 式内 | 国府八幡宮[論] | ★ |
伊勢国は八幡宮の数が少なく、また八幡宮が創建された時代も遅い律令国。津八幡宮の由緒で「建武年中(1334-1336)足利将軍の宿願に依り伊勢国に初て八幡宮を建立」とするほど。江島若宮八幡神社は醍醐天皇が神託により宮中に祀られていた石清水八幡宮の分霊を当地に奉遷したもので、若宮八幡となっているが通常の八幡神の配祀。国府推定地近くには全く八幡宮が存在しないが、総社である三宅神社と式内社である酒井神社が多くの神社を合祀しており、どちらも合祀された祭神には誉田別命が含まれる。また、江島若宮八幡神社は総社から約8.5kmの距離にあり遠いが、醍醐天皇が神託によって鎮座地を決めているので、それをそのまま国府八幡宮とした可能性もあるかもしれない。
志摩国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
安乘神社 | -1592 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★★ |
志摩国は最も八幡宮が少なく、情報もほとんどない律令国。由緒書が存在するというだけで候補になりうる。国府白浜という海岸沿いに総社と言われる国府神社があり、安乘神社はここから北東3.4kmの岬にある。元は八幡社と呼ばれていた。1592~1593年頃、九鬼嘉隆が安乗沖を航行していた際に風が止み、当社に参拝したところ航行を再開できたというが、これ以前の記録はない。とはいえ、ほかに候補となる八幡宮もなく、総社にも祀られていない。
尾張国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
片山八幡神社 | 式内論・県社 | 511 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
伊富利部神社 | 式内・県社 | 794-810 | 859-1110 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★★ |
伊多波刀神社 | 式内・県社 | 112 | 不明 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
片山八幡社 [小牧市] |
式内・郷社 | 871 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
御器所八幡宮 | 式内論・郷社 | [833-850] | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
若宮八幡社 | 県社 | [697-707] | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
尾張国の国府八幡宮は伊富利部神社とされることが多いが、国府八幡宮としても一国一社八幡宮としても比定できる根拠がわからない。国府推定地や総社からは9km以上の距離がある。国府推定地の周辺は小さな八幡宮が無数にあるが、それらしいものは1社もない。一宮や総社も近いが、八幡神は祀られておらず、境内社にも見つからない。一国一社についても候補社が多く、比定には至らないが、由緒書通りかつ創建時から八幡神を祀るならば片山八幡神社が最も古い。ただ、宇佐神宮以前の時代は基本的に勧請ではないため、天皇の勅命や神託によって直接的に祀ることになり、そういった由緒がない限り信憑性が高いとは言えない。
三河国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
八幡宮 [豊川市八幡町] |
県社 | 673-685* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮 |
★★★ ★★★★★ |
|
羽田八幡宮 | 郷社 | [660-680] | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
山中八幡宮 | 699 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ |
豊川市八幡町の八幡神社は天武天皇の白鳳年間に勅命により宇佐神宮より一国一社の八幡宮として勧請としているが、宇佐神宮よりも古く矛盾。ただし、天武天皇の勅命で創建された八幡宮は全国に何社かあるとされ(飯香岡八幡宮など)、宇佐神宮からの勧請でなければありえる。また、三河国府跡や総社から至近距離にあり、創建年にかかわらず国府八幡宮であることは間違いなさそう。山中八幡宮は八幡神の神託により創建され、由緒通りなら宇佐神宮よりも古くから存在している八幡宮となる。
遠江国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
府八幡宮 | 式内論・県社 | 729-748 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮 |
★★★ ★★★★★ |
||
女河八幡宮 | [655] | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
女河八幡宮は、社伝によれば斎明天皇元年(655)の鎮座とするが、明和元年(1764)の火災で記録を焼失したため詳細不明。事任八幡宮は創建は古いが石清水八幡宮からの勧請は1062年。
駿河国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
静岡八幡神社◎ | 597 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮[論] |
★★★★ ★★★ |
|||
若宮八幡宮 [静岡市葵区浅間町] |
村社 | 前91 | 不明 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★★ |
静岡八幡神社は推古5年(597)に有渡八幡宮として鎮座されたとされる。若宮八幡宮は創建は古いが、元は別の祭神を祀る。後に誉田別命を祀るが合祀時期不明。
伊豆国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
八幡宮来宮神社 | 式内論・郷社 | 769 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
守山八幡宮 | 式内・村社 | 647 | 907 | 宇佐神宮 | 国府八幡宮[論] | ★★ |
若宮神社 | 二宮 | 不明 | 国府八幡宮[論] | ★★ |
国府は平安中期の文献に田方郡とあり、鎌倉時代の文献には三嶋大社周辺であることがわかる記述があるという。延喜式神名帳に記載の賀茂郡伊豆三島神社は三嶋大社に比定されているので、田方郡に三島は含まれず、もっと南の地域と思われる。田方郡で由緒がはっきりしており創建が古いのが907年創建の守山八幡宮であり、国府八幡宮の候補社とした。その後、国府が三島に遷ったと思われるが、若宮神社は当時はおそらく二宮であり(その後三嶋大社境内社への遷座説があるが、若宮神社も存続している)、国司が勧請した八幡宮と言われている。若宮神社の創建年代は不詳であるが、二宮であるから平安時代までに創建されたと推定できる。
甲斐国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
福地八幡宮◎ | 310 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |||
石和八幡宮 | 村社 | 97 | 1192 | 鶴岡八幡宮 | 中世国府八幡宮 国府八幡宮[論] |
★★★★★ ★★ |
八幡神社 [甲府市宮前町] |
総社・県社 | 1560 | 鶴岡八幡宮 | 中世国府八幡宮 | ★★★★★ | |
美和神社[境] | 二宮 | 国府八幡宮[論] | ★ |
310年応神天皇の崩御の後、大山守皇子が神功皇后の遺品を神宝として応神天皇を祀り、福地軽島大神宮と称したのが福地八幡宮の始まり。589年には聖徳太子が再建、701年には文武天皇の勅命により福地八幡大神と改称。甲斐国は822年に武田八幡宮、859年に大井俣窪八幡神社がそれぞれ宇佐神宮からの勧請によって創建されており、由緒もしっかりしていて古いが、福地(ふじ=富士)八幡宮は由緒書通りなら最古の八幡宮。国府八幡宮は鎌倉時代以降は特定されているが、平安時代までの2ヶ所の国府推定地付近には見つからない。石和八幡宮が鶴岡八幡宮勧請以前から八幡宮だった可能性があるかもしれないのと、二宮の美和神社の境内社の八幡社くらいしか思いつかない。
相模国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
平塚八幡宮◎ | 県社 | 380 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
平安中期までの国府所在地は平塚と推定され、その後少し西、総社である六所神社付近に遷ったとされる。総社付近にそれらしい八幡宮は見つからないが、平塚八幡宮まで7km強くらいなので、わざわざ新たに創建しなかったのかもしれない。
武蔵国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
国府八幡宮 | [724-749]* | 国府八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★★ ★★ |
|||
御田八幡神社 | 式内論・郷社 | 709 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
薭田神社 | 式内論・郷社 | 709 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
箭幹八幡宮 | 616* | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |||
根岸八幡神社 | 村社 | 543 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ |
国府八幡宮は文字通り国府八幡宮としては比定できるが由緒の「第45代聖武天皇の御代に、各国に一国一社の八幡として創立された社」には疑問。一国一社の構想はすぐに全国的に実現されたわけではないし、724-749は聖武天皇の在位期間を記載しただけで、由緒に具体性がなく一般論を述べているだけに思える。もちろん、由緒書通りの可能性もあるが判定できない。御田八幡神社と薭田神社は式内論社同士。薭田神社は和銅2年(709)、僧行基が天照大神、応神天皇、春日大神三柱の御神体を刻んで納め奉ったと伝えられる。箭幹八幡宮は東京都神社庁では616年に石清水八幡宮より勧請となっているが、時代的に矛盾。公式サイトでは推古天皇が病気の際に祈願をして全快後に多額の修復費をいただいたとしている。根岸八幡神社は543年に八幡神の神託により創建。
安房国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
鶴谷八幡宮 | 総社・県社 | 平安初期 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
上総国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
飯香岡八幡宮◎ | 総社・県社 | 675 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★ ★★★★★ |
||
鶴峯八幡神社 | 郷社 | 717-724 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
飯香岡八幡宮の由緒に「759年勅命により一国一社の八幡宮となり、国府総社と称せられる」とあるが、本当なのか。勅命によって創建することはあるが、勅命によって認定することがあるのか。675年の創建は天武天皇の御代であり、天武天皇の勅命によって創建された八幡宮はいくつかあるようである。由緒書通りなら飯香岡八幡宮が上総国最古だが、鶴峯八幡神社も宇佐神宮よりも古い養老年間に創建されたとしている。
下総国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
葛飾八幡宮 | 県社 | 889-898 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★★ ★★ |
|
海上八幡宮 | 郷社 | 807 | [宇佐神宮]* | 一国一社八幡宮[論] | ★★★ | |
廣幡八幡宮 | 村社 | 887-897 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
常陸国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
大宝八幡宮◎ | 県社 | 701 | [宇佐神宮]* | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | |
若宮八幡宮 [石岡市若宮] |
728 | 国府八幡宮 | ★★★★★ |
大宝八幡宮は大宝元年(701)に創建されたことから名付けられ、大宝は地名にもなっている。公式サイトでは宇佐神宮を勧請としているが、宇佐神宮創建前であるため矛盾しており、勧請の部分は間違い。ただし、全国的に大宝元年創建の八幡宮が存在するので、文武天皇の勅命の可能性があり、大宝元年の創建自体は信憑性が高い。若宮八幡宮は国府に存在しており、社名は若宮だが祭神は誉田別命。
東山道
近江国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
上豊浦八幡神社 | 636 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |||
若宮八幡神社 [大津市杉浦町] |
郷社 | 679 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★★★ |
||
志賀八幡神社 | 680 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |||
山田八幡宮 | [675]* | 一国一社八幡宮[論] | ★ |
上豊浦八幡神社は舒明天皇8年に応神天皇、神功皇后、比売大神を祀り、現在地に遷座する前は比都佐神社八幡宮と呼称。若宮八幡神社は主祭神として仁徳天皇を祀るが、応神天皇、武内宿禰も配祀神とする。上豊浦八幡神社以外の3社は和暦に私年号「白鳳」を使用しており、白鳳元年は672年とした。
美濃国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
坂本神社八幡宮◎ | 式内論・村社 | 702 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | ||
八幡神社 [揖斐郡池田町] |
村社 | 458* | 一国一社八幡宮 | ★ | ||
若宮八幡神社 [不破郡垂井町] |
不明 | 960 | 宇佐神宮 | 国府八幡宮[論] | ★★★ |
坂本神社八幡宮は大宝二年(702)霊夢により創建。若宮八幡神社の鎮座地は国府跡から3.2kmだが、数回遷座しており、元は相川の北にあったとするので現在よりも近かった可能性がある。また、名称は若宮だが応神天皇を祀る。創建不詳で田口明神を祀っていたが、960年に宇佐神宮から勧請しており勧請年も古い。美濃国神名帳に記載の古社。
飛騨国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
下原八幡神社◎ | 郷社 | 377 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
乗政八幡神社◎ | 377 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |||
位山八幡神社◎ | 377 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |||
久津八幡宮◎ | 二宮 | 377 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
森水無八幡神社◎ | 377 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | |||
櫻山八幡宮◎ | 県社 | 377 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮[論] |
★★★★★ ★★★ |
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若宮八幡神社◎ [高山市石浦町] |
377 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ |
仁徳天皇65年、両面宿儺(凶賊)追討の際に官道の数ヶ所に先帝応神天皇の尊霊を祭祀した。これを飛騨八幡八社とし、上記の7社のほかは一宮とされるようである。飛騨一宮水無神社は御歳大神と配祀神14柱の総称で水無大神を祀るとし、配祀神には応神天皇が含まれるが、ほかの7社と同様のことは由緒としていない。上記7社のうち、森水無八幡神社のみ戦国時代の八幡神合祀説があるようである。国府は奈良時代には高山市国府町、平安時代は旧高山市にあったとされるが、特定はされていない。若宮八幡神社は応神天皇、仁徳天皇ともに主祭神。
信濃国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
筑摩神社 | 県社 | 794* | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★★ ★★ |
|
川合鶴宮八幡神社 | 791 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |||
国分神社 | 郷社 | [741-]* | 国府八幡宮 国分八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★ ★★★★★ ★★ |
信濃国の国府所在地は歴史的文献では全て筑摩郡(松本市)と記載されているが、上田市には国分寺や総社があることから、その前の時代には上田に国府があったとも言われる。国分神社は国分寺守護の八幡宮であり、創建不詳だが、聖武天皇の741年の勅命によって創建された国分寺と同時期と推定できる。筑摩神社は794年に石清水八幡宮から勧請としているが、石清水八幡宮よりも古く矛盾。川合鶴宮八幡神社は無名の小さな神社だが、創建は延暦10辛未年7月20日勧請と具体的であり、筑摩神社よりも3年早い。
上野国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
前橋八幡宮 | 県社 | 859 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★★ ★★ |
|
六供八幡宮 | 村社 | 808 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
上野国一社八幡八幡宮はそう呼ばれたのかもしれないが、創建が957年であり、ここでの定義には当てはまらない。また、鎮座地も国府所在地ではない。一国一社というのは、元々は聖武天皇の一国に一社ずつ八幡宮をおくという構想から始まっていると推測しているが、これが後にその国で最上位の格付けという意味に受け取られるようになっていったのかもしれない。
下野国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
中村八幡宮◎ | 675 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |||
小宅八幡宮 | 不明 | 国府八幡宮[論] | ★ | |||
薬師寺八幡宮 | 875 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮[論] | ★ |
中村八幡宮は白鳳4年(675)に天武天皇の勅令により全国に建立された社の1つという。小宅八幡宮は国庁跡付近に現存する数少ない八幡宮の1社で(国庁跡から1km弱)、創建不詳、1709年再建。国府付近の有力神社は総社である大神神社だが、八幡神は祀られておらず、境内社にもない。一番近い有力な八幡宮は薬師寺八幡宮だが、国庁跡から直線距離で8km以上の距離がある。
陸奥国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
鎮守府八幡宮 | 県社 | 801 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
屯岡八幡宮 | 782-806 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |||
鶴ヶ峰八幡神社 | 式内論 | [598]* | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
八幡神社 [多賀城市宮内] |
郷社 | [721] | 宇佐神宮 | 国府八幡宮[論] | ★★ |
鎮守府八幡宮、屯岡八幡宮はどちらも坂上田村麻呂による創建。鶴ヶ峰八幡神社は式内論の古社で、寛文3年古縁起等を焼失したが、一説では推古天皇6年(598)創建。創建時から八幡神を祀ると思われる。
出羽国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
余目八幡神社 | 719* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
浅舞八幡神社 | 県社 | 740 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
八幡神社 [由利本荘市西目町] |
村社 | 770 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
一条八幡宮 | 県社 | 877 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 | ★★★★★ |
余目八幡神社は719年に宇佐神宮から勧請としているが、宇佐神宮創建よりも古く矛盾。
北陸道
若狭国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
八幡神社 [小浜市小浜] |
県社 | -770 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
越前国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
八幡神社◎ [越前市住吉町] |
村社 | 701 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
加賀国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
宮保八幡神社◎ | 郷社 | 507 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
八幡神社 [小松市八幡] |
717-724 | [1000] | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮[論] | ★★★ |
宮保八幡神社は、応神天皇五世の孫彦太王命が上都して継体天皇となる際に村人が離別を惜しみ、王の記念を与えられ子孫に伝えることを請うたところ、応神天皇を祀らしめ神宝を納められたことを由緒とする。後にあらためて宇佐神宮を勧請するが、創建時より応神天皇を祀る。
能登国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
八幡神社 [羽咋郡宝達志水町] |
782-806 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |||
八幡神社 [七尾市矢田町] |
村社 | 1115 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮[論] | ★★★ | |
古城八幡神社 | [1115] | 国府八幡宮[論] | ★★★ |
羽咋郡宝達志水町の八幡神社は延暦年間、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の帰途でこの地で正八幡宮を奉祀して鉾一振、矢一羽を奉納したことを由緒とし、807年には空海が当社で雨を祈願した記録がある。七尾市矢田町の八幡神社は、元々永久3年8月石清水八幡宮から分霊を勧請して七尾城内丑寅に祀っていた神社を七尾城落城後に遷座したもの。古城八幡神社も全く同じ由緒。
越中国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
放生津八幡宮 | 県社 | 746 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★ ★★★★★ |
|
越中護国八幡宮 | 郷社 | 不明 | 724-749 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | |
埴生護国八幡宮 | [718]* | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
放生津八幡宮と越中護国八幡宮は同時期の創建であり、勧請元の神霊を乗せた神輿が数ヶ所に立ち寄ることもよくあることなので、そのケースかもしれない。
越後国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
府中八幡宮 | 総社 | 720* | 宇佐神宮 | 国府八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★★ ★★ |
|
五泉八幡宮 | 式内論 | 807 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
矢津八幡宮 | 式内論 | 807 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
府中八幡宮は720年に宇佐神宮を勧請し、その後870年に石清水八幡宮を勧請したとしているが、宇佐神宮は年代的に矛盾。五泉八幡宮と矢津八幡宮はどちらも同じ由緒で、坂上田村麻呂が戦勝祈願のために八幡神を祀ったとする。
佐渡国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
久知八幡宮 | 郷社 | 961 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | |
八幡宮 [佐渡市八幡] |
郷社 | 1142 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮[論] | ★★ | |
八幡若宮社 [佐渡市四日町] |
国府八幡宮[論] | ★★ |
八幡宮は地名に八幡とあることから有力神社だったと思われるが、下国府遺跡の北西約3km。八幡若宮社は由緒・祭神等一切不明だが、下国府遺跡から北西1km強の場所にあり、グーグルマップの航空写真で見ると参道の長さが200m以上もあるように見える(現地未確認)。
山陰道
丹波国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
高津八幡宮 | 府社 | 881 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | |
篠村八幡宮 | 村社 | 1071 | 誉田八幡宮 | 国府八幡宮[論] | ★★ | |
鍬山神社 | 式内・府社 | 709 | 1165 | 国府八幡宮[論] | ★★ |
国府は亀岡市周辺と推定されているが、具体的な位置は特定できておらず、諸説ある。鍬山神社は主祭神は大己貴命だが、永万元年(1165年)に面降山に八幡神が降臨したため、鍬山宮の隣に祀った。
丹後国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
四辻八幡神社 | 村社 | [815]* | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★ |
||
麻良田神社 | 式内・村社 | 863 | 866 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★★ |
八幡神社 [舞鶴市下東] |
[870] | 国府八幡宮[論] | ★ | |||
板列八幡神社 | 式内論・村社 | [951-1046]* | 国府八幡宮[論] | ★ |
四辻八幡神社は創建不詳だが、弘仁六年(815)に嵯峨天皇が自ら彫った八幡三神像を安置したとする説がある。麻良田神社は式内社であり、石清水八幡宮からの勧請年がはっきりしている。丹後国の国府は全く特定されていないが、平安中期の資料では国府は加佐郡にあるとしており、丹後国の加佐郡の式内社の分布から舞鶴市が有力と思われるので、国府八幡宮としても麻良田神社の可能性はある。また、舞鶴市下東の八幡神社は、京都府のサイトの文化財の修理事例の頁に870年創建と伝えられるとあるが、これ以上の情報はない。
但馬国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
八幡神社 [豊岡市梶原] |
村社 | 720 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
別宮八幡神社 | [-780] | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |||
井田神社 | 式内・村社 | 不明 | 848* | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★★ |
豊岡市梶原の八幡神社は養老4年(720)秋8月15日三宅宿禰の創立と伝わる。別宮八幡神社は創建不詳だが、780年には既に存在していたとされる。宇佐神宮と石清水八幡宮の両方の分社となるが、勧請年は不明。井田神社は総社近くの式内社で創建は不詳。元はウカノミタマを祀っていたが、嘉祥元年(848)悪疫流行の際に石清水八幡宮から勧請して八幡神を祀ったとするが、石清水八幡宮創建よりも古く矛盾。しかし、ほかに候補社も少ないので、それでも有力な論社かもしれない。
因幡国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
倉田八幡宮 | 県社 | -1208 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮[論] |
★★★★ ★★ |
|
雲山八幡宮 | 不明 | 国府八幡宮[論] | ★★ | |||
長田神社 | 県社 | 不明 | 国府八幡宮[論] 中世国府八幡宮[論] |
★★ ★★ |
因幡国には由緒がはっきりしている古い八幡宮は見付からない。倉田八幡宮は創建不詳で石清水八幡宮からの勧請とするが勧請年も不明。1208年の記録が初見で、その時には既に大社であった。また、国庁跡から4km弱とやや遠いが、国府周辺で唯一国府八幡宮にふさわしい格式の神社。雲山八幡宮は現存する八幡宮では最も国庁跡から近いと思われる八幡宮で距離は2km強。なお、一宮である宇倍神社が付近の6社を合祀して境内社の国府神社としたが、その祭神の中に応神天皇は含まれない。長田神社は創建は不詳だが鳥取の創始時代に祀られたとされる歴代の鳥取城主の崇敬社であり、祭神に誉田別命が含まれる。
伯耆国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
逢坂八幡神社 | 郷社 | 865 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | |
国庁裏神社[合] | 総社 | 国府八幡宮[論] | ★★ | |||
倉吉八幡宮 | [1486] | [石清水八幡宮] | 中世国府八幡宮[論] | ★★ |
国庁跡周辺には全く八幡宮が存在せず、最も近いそれらしい八幡宮は倉吉八幡宮。創建不詳だが、1つの説では1486年に因幡守護の山名豊明が石清水八幡宮を勧請したと言われるので、中世国府八幡宮の可能性がある。国庁裏神社は大正時代にたくさんの神社を合祀しており、その中の村社和田神社と村社東谷神社の祭神が品陀和気命となっている。
出雲国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
日倉神社 | 不明 | 507-531 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | ||
狩山八幡宮 | 式内・郷社 | 729 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
平濱八幡宮 | 県社 | -1111 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★★ ★ |
日倉神社は天造日姫命という神を祀るが、継体天皇の頃(507-531)八幡神を相殿で祀り、用明天皇の御代(585-587)に日倉八幡宮と改称。平濱八幡宮は総社や国分寺跡から近く、国府八幡宮としては間違いないと考えるが、一般的に言われている出雲国最古の八幡宮というのは、調査の結果ほぼ可能性がないと思われる。
石見国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
錦岡八幡宮 | 郷社 | 717* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
社家地八幡宮 | 724* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★★★ |
||
喜多八幡宮 | 郷社 | 不明 | 782-806 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
八幡宮 [浜田市上府町] |
1114 | 鶴岡八幡宮 | 中世国府八幡宮[論] | ★★ |
錦岡八幡宮は717年に社家地八幡宮は724年に宇佐神宮から勧請としているが、どちらも宇佐神宮創建前であり矛盾。石見国の国府所在地は特定されていないが、資料では那賀郡と記載されており、浜田市が有力。一般的に総社に近い浜田市上府町の八幡宮を国府八幡宮とするが、創建が平安末期の1114年であり、本来の国府八幡宮としては新しすぎる。浜田市の中心部では最も古いと考えられる社家地八幡宮が最有力の論社と考える。
隠岐国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
國府尾神社 | 無格社 | 903 | 近江国 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★ ★★★★ |
山陽道
播磨国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
高岳神社 | 五宮・県社 | -782 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★ ★★★ |
||
松原八幡神社 | 県社 | [763] | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
山崎八幡神社 | 県社 | -807 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
正八幡神社 [姫路市船津町] |
[745/875]* | 一国一社八幡宮[論] | ★ | |||
男山八幡宮 | 1345 | 石清水八幡宮 | 中世国府八幡宮[論] | ★★ |
美作国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
福渡八幡宮 | 村社 | 677* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★★ | |
八幡神社 [勝田郡勝央町] |
村社 | 713 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
八幡神社 [津山市新野山形] |
郷社 | 738 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
鶴山八幡宮 | 郷社 | 不明 | 国府八幡宮[論] | ★★ | ||
徳守神社[境] | 総社・県社 | 733 | 国府八幡宮[論] | ★★ |
福渡八幡宮は斉明天皇白鳳六年(由緒書では655、このページの基準では677で天武天皇の御代)宇佐神宮から勧請とするが、宇佐神宮創建よりも古く矛盾。713年に備前国から分離した美作国が誕生して同国最南端に位置することになった。勝田郡勝央町の八幡神社は主祭神が誉田別命のほかに高龗神、闇龗神となっており、創建時から誉田別命を祀っていたのかやや疑問。宇佐神宮創建よりも古い時代なので、創建時に勧請も考えにくい。鶴山八幡宮は往古から津山城跡のある鶴山頂上に鎮座していたとされるが創建不詳。築城に際して遷座して、その後再遷座している。古くから存在していることの記録はないが、ほかの国府八幡宮の候補としては総社である徳守神社の境内社としての八幡神社が挙げられるくらいである。
備前国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
龍之口八幡宮 | 村社 | [-758] | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮 |
★★★ ★★★★ |
||
宇佐八幡宮 [和気郡和気町] |
郷社 | 771 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
龍之口八幡宮は創建不詳だが、孝謙天皇の御代に報恩大師が岡山市金山寺を開いた時に当社が霊験あらたかであると説かれたと伝えられる。龍ノ口山という標高250mほどの山にあるが、国庁跡から四御神参道入口まで2km強、総社から段原参道入口まで1km強であり、国府八幡宮としての可能性もかなりあると考える。備前国庁跡から南西1km弱にある備前八幡宮は1615年創建と新しく、また、ほかに候補となる八幡宮も見当たらないので、ほかの可能性との比較で言えば比定社としたい。宇佐八幡宮は宝亀二年(771)に和気清麻呂が勅命により宇佐神宮を勧請して創建。
備中国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
葦守八幡宮◎ | 郷社 | 310 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮[論] |
★★★★★ ★★ |
||
鴻八幡宮◎ | 県社 | 701 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | ||
新庄八幡宮 | 701 | [宇佐神宮] | 一国一社八幡宮[論] | ★★★ | ||
清田八幡神社 | 郷社 | -990 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
葦守八幡宮は応神天皇の崩御後に、応神天皇妃の兄媛(えひめ)の兄とされる御友別が天皇を偲んで葉田葦守宮として祀ったとされる。兄媛の故郷に行幸した際に御友別が天皇をもてなしており、この話は日本書紀にある。備中国の国府は特定されていないが、総社宮の東北東2kmに伝備中国府跡がある。この周辺の八幡宮は由緒のはっきりしない小社や創建が新しいものばかりであり、総社宮の境内社にも八幡宮はないので、伝備中国府跡から北東5.4kmと遠いが葦守八幡宮を国府八幡宮の論社としても挙げておきたい。国府よりも古くから存在しているので、わざわざ国府に新たな八幡宮を設けなかったというニュアンスだろうか。新庄八幡宮は大宝元年(701)8月13日、宇佐神宮から勧請したとするが宇佐神宮よりも古く矛盾。ただし、鴻八幡宮と同じ大宝元年創建であり、全国に同年創建の八幡宮が何社かあるので、勧請以外は本当かもしれない。清田八幡神社は創建不詳だが、西暦500年代と推測され岡山県内最古の八幡宮の1つとされる。990年に現在地に遷座。
備後国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
下御領八幡神社 | 729-749 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 国分八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
||
府中八幡神社 | 1443 | 中世国府八幡宮 | ★★★★★ |
備後国の国府は府中市とされているため府中八幡神社は一般的に国府八幡宮とされるが、創建は1443年と新しい。それまでの時代の国府八幡宮は周辺に見当たらない。総社を合祀した小野神社や一宮の吉備津神社にも八幡神は祀られていない。国分寺とその守護八幡宮である下御領八幡神社は遠く離れた福山市神辺町にあり、国府の機能が2ヶ所に分散されている印象を受けるが、国府が移転したわけではないようである。おそらく、府中市の方には中世まで国府八幡宮はなく、それでよしとされていたのかもしれない。
安芸国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
石清水八幡宮 | [750]* | 1013 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮[論] 国分八幡宮 |
★★ ★★★★★ |
|
御調八幡宮 | 県社 | 777 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
多家神社[合] | 総社・県社 | 不明 | 国府八幡宮 | ★★★★ |
安芸国の一国一社八幡宮は石清水八幡宮とすることが多いようであるが、創建不詳である。国分寺跡からは天平勝宝2年(750年)4月29日銘の木簡などが出土しており、国分八幡宮なので国分寺と同時期の創建かもしれない。一方で、由緒書では長和二年(1013)に石清水八幡宮から勧請となっている。元は宇佐神宮からの勧請で、後に石清水八幡宮を勧請、それに伴って社名変更という可能性もあるが、はっきりとした由緒はない。御調八幡宮は和気清麻呂が大隅国へ流された後、777年に姉が宇佐神宮から勧請して創建したとされる。安芸国の国府は安芸郡府中町とされ、付近に八幡宮はないが、現在の多家神社は総社とその近くにあった松崎八幡宮を合併して創建されており、相殿で八幡神を祀る。総社と八幡宮の間には式内多家神社や埃宮についての争いがあったとのことなので、松崎八幡宮も歴史・規模で総社に比肩するものだったかもしれない。
周防国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
遠石八幡宮◎ | 県社 | 622 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
花岡八幡宮 | 県社 | 709 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
山崎八幡宮 | 県社 | -709* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
岩隈八幡宮 [岩国市玖珂町] |
県社 | 不明 | 714 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
佐波神社[合] | 総社・県社 | 国府八幡宮 | ★★★★★ |
花岡八幡宮は709年に宇佐神宮から勧請とするが、宇佐神宮創建よりも古く矛盾。山崎八幡宮は神室山に神が降臨してこれを祀ったことを起源とし、709年に現在地に遷座とする。ただし、八幡神と明示されておらず、一説には宇佐神宮からの勧請とも言われているとするなど、信憑性に疑問がある。岩隈八幡宮も宇佐神宮勧請年が矛盾。周防国府は防府市で、国庁八幡宮跡に「明治四十年佐波神社に合併された」との説明がある。
長門国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
飯山八幡宮 | 県社 | 772 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
豊功神社 | 県社 | 不明 | 国府八幡宮[論] 中世国府八幡宮 |
★★ ★★★★★ |
||
亀山八幡宮 | 県社 | 859 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮[論] | ★★ |
飯山八幡宮は宝亀三年(772)三月十四日に懸主上田宿祢宇津見という者が八幡神の神託により神霊を祀ったことを起源とし、807年に現在地に遷座。長門国には859年に宇佐神宮の神霊を石清水八幡宮に勧請する際に途中で立ち寄った2つの場所に亀山八幡宮、琴崎八幡宮が創建されているが、飯山八幡宮の方が古い。長門国府推定地は二宮忌宮神社付近とされており、豊功神社はその周辺で八幡神を祀る唯一の神社と思われる。この地には古くから櫛崎八幡宮があり、後に安芸国から勧請した宮崎八幡宮と併せて松崎八幡宮となり、さらに忌宮神社の境内社と併せて現在の豊功神社になったとされる。櫛崎八幡宮がどのくらい古くから存在するのかは不明であり、平安時代まで遡れるのであれば国府八幡宮と考えられる。ただし、鎌倉時代以降の創建であれば、少し遠いが確実に古くから存在している亀山八幡宮が国府八幡宮の役割をしていたと考えられる。
南海道
紀伊国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
木本八幡宮◎ | 県社 | 562 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
廣八幡宮◎ | [550-570] | 誉田八幡宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
野上八幡宮◎ | 県社 | [550-570] | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | ||
安原八幡神社 | [550-570/961]* | 一国一社八幡宮[論] | ★★★ | |||
小川八幡神社 | [550-570] | 一国一社八幡宮[論] | ★★★ | |||
八幡神社 [和歌山市府中] |
村社 | 902 | 国府八幡宮 | ★★★★ |
欽明天皇の御代に諸国の神功皇后御経歴の地に八幡宮創建の勅命があった。この勅命によって創建された可能性があるのは紀伊国では5社。木本八幡宮は神功皇后・武内宿禰が三韓征伐後に当地に造営された頓宮跡に562年に芝原八幡宮として創建と最も由緒が具体的である。廣八幡宮も神功皇后の三韓征伐後の行啓地とされ、欽明天皇の御代に河内国誉田八幡宮より勧請されたと伝わっており、由緒に関して全て辻褄が合っている。野上八幡宮も欽明天皇の勅命により応神天皇の霊を勧請して八幡宮を創建したとする。この時代に宇佐神宮はないが、誉田八幡宮が存在しているので廣八幡宮と同様に同社からの勧請はあり得る。安原八幡神社はこの時に創建された説の他に、961年に宇佐から勧請説がある。小川八幡神社は欽明天皇の御子が創建したとする。欽明天皇の勅命によって創建された八幡宮は何社かあり、5社ともにそうである可能性もかなりあると考えるが、由緒の具体性によって多少確度が変わるものとして扱った。和歌山市府中の八幡神社は延喜2年(902)3月3日に神託があり、その後夜毎瑞光が府中の乾山を照すので、役所に報告のうえ許可を得て当社を創建したとする。
淡路国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
福良八幡神社 | 859 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |||
賀集八幡神社 | 県社 | 860 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
亀岡八幡神社 | 郷社 | 859-877 | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
高田八幡神社 | 村社 | 不明 | 957-961 | 国府八幡宮[論] | ★★★ | |
府中八幡神社 | 村社 | -1428 | 国府八幡宮[論] 中世国府八幡宮 |
★★ ★★★★★ |
福良八幡神社は貞観元年(859)奈良大安寺の僧である行教が宇佐神宮の分霊を奉じて石清水八幡宮に向かう途中で福良港に寄って創建された。賀集八幡神社はその翌年に行教が今度は石清水八幡宮の分霊を奉じて淡路に来島して創建された。亀岡八幡神社も貞観年間(859-877)に石清水八幡宮を勧請して創建としているので、賀集八幡神社と同時期に創建された可能性がある。国府八幡宮は一般的に府中八幡神社とされているが創建不詳であり、最初に記録に現れるのが応永年間(1394-1428)なので、中世国府八幡宮ではあっても本来の国府八幡宮ではない可能性が高い。二宮である大和大国魂神社の西1km強にある高田八幡神社は、仁徳天皇が行幸で当地を訪れたことがあったため数代後に仁徳天皇の神霊を祀っていたが、天徳年間(957-961)に奉行と里人に霊夢があり応神天皇を祀るように告げたため、以降応神天皇も祀る。
阿波国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
井上八幡神社 | 673* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] 国府八幡宮[論] |
★★★ ★★ |
||
大宮八幡神社 | 式内・郷社 | 708* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
豊崎八幡宮 | 不明 | 筥崎宮 | 国府八幡宮[論] | ★★ | ||
八幡総社両神社 | 総社論 | 不明 | 国府八幡宮[論] | ★★ |
井上八幡神社は白鳳二年(673)に宇佐神宮から勧請とするが、宇佐神宮よりも古く矛盾。ただし、隣に井戸寺があり、こちらは天武天皇の勅命によって建立としており同時期の創建である可能性が高いのと、天武天皇の勅命による八幡宮の創建は全国的に何社かあるため、宇佐から勧請という部分以外は正しいかもしれない。大宮八幡神社も和銅元年(708)に宇佐神宮から勧請とするが、矛盾。豊崎八幡宮は往古に筥崎宮より勧請とする以外は不詳であるが、八倉比売神社と対称に向かい合わせの配置になっており、国府守護のための配置に思える。
讃岐国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
浪打八幡宮◎ | 郷社 | 604 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
琴弾八幡宮◎ | 県社 | 703 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
國分八幡宮 | 749-757 | 国府八幡宮 国分八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
|||
若山八幡宮 | 村社 | 1050-1053 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 | ★★★★ |
浪打八幡宮と琴弾八幡宮は八幡神の神託により創建。國分八幡宮は天平勝宝年間(749-757)に国分寺守護のために創建。讃岐国の国府は坂出市府中町で国庁跡は讃岐府中駅の西北西0.5kmほどの場所にある。國分八幡宮は国庁からも充分近いので、国分八幡宮であると同時に当初は国府八幡宮でもあったと思われるが、その後、讃岐国司がより近い場所に石清水八幡宮から勧請して若山八幡宮を創建している。
伊予国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
八幡神社◎ [八幡浜市矢野町] |
県社 | 717 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
石清水八幡神社 | 県社 | 859 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 | ★★★★ |
八幡浜市矢野町の八幡神社は宇佐神宮の勧請元となった八幡宮。石清水八幡神社は総社である伊加奈志神社の南東150m(本殿同士の距離)くらいの場所にある。
土佐国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
岡豊別宮八幡宮 | 不明 | 国府八幡宮 国分八幡宮 一国一社八幡宮[論] |
★★★★★ ★★★★★ ★★ |
|||
松尾八幡宮 | 861- | 石清水八幡宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
土佐国の国府は南国市比江に国衙跡があり特定されている。付近で国府八幡宮の候補となるのは創建不詳の岡豊別宮八幡宮ただ1社のみである。また、国全体でも由緒や創建年のはっきりしている八幡宮が少ない。調査した中では、松尾八幡宮は平城天皇第三皇子の高岳親王が貞観三年(861)三月に仁淀川付近に至りしばらく清瀧寺に滞在した後に石清水八幡宮を勧請したとして最も古かった。ただし、創建不詳の岡豊別宮八幡宮も国分寺の守護八幡宮なので741年創建の国分寺と同時期の可能性がある。
西海道
筑前国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
宇美八幡宮◎ | 県社 | 570 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
大分八幡宮◎ | 郷社 | 726 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
筥崎宮◎ | 一宮 | 921 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
綱分八幡宮◎ | 県社 | 724-729 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | ||
恵蘇八幡宮 | 郷社 | 661* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
二日市八幡宮 | 郷社 | [600頃]* | 宇佐神宮 | 国府八幡宮 | ★★★★ |
宇美八幡宮は敏達天皇の御代(572-585)に神功皇后が応神天皇を産んだ地に創建。由緒書では触れられていないが、欽明天皇が諸国の神功皇后ゆかりの地に八幡宮を創建するよう勅命しているのでそれによって創建されたか、または敏達天皇の勅命で創建された八幡宮もあるのでその可能性もある。大分八幡宮は筥崎宮の元宮。921年に遷座して筥崎宮となる。綱分八幡宮は神功皇后が応神天皇を産む時に安産のおまじないとして産綱を分けてお祀りした場所に神亀年間(724-729)に創建。恵蘇八幡宮は661年に宇佐神宮から勧請としているが、宇佐神宮よりも古く矛盾。筑前国の国府は太宰府の近くと推定されるが、特定はされていない。二日市八幡宮は創建不詳だが、鎮座1400年としており、太宰府政庁跡から2km弱の距離にある。
筑後国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
廣田八幡宮 | 724* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | ||
土橋八幡宮 | 郷社 | 782-806 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
赤司八幡神社 | 名神大社論 | [924]* | [924]* | 国府八幡宮[論] | ★ | |
高良大社[合] | 一宮 | 400 | 国府八幡宮[論] | ★ | ||
高良内八幡神社 | 村社 | 国府八幡宮[論] | ★ |
筑後国では由緒のはっきりした規模の大きな八幡宮は見つからなかった。廣田八幡宮は724年に宇佐神宮を勧請とするが、宇佐神宮よりも古く矛盾。土橋八幡宮は延暦年間(782-806)に宇佐神宮から勧請とする。国府は総社である味水御井神社がある久留米大学前駅付近とされるが、その周囲には国府八幡宮の候補が見当たらない。赤司八幡神社は式内名神大社である豊比咩神社の論社であり、元は豊比咩神社で924年に八幡神を合祀した説と924年に創建した説がある。国府から7.5kmと遠いが、国府周辺にほぼ八幡宮がないので、論社としては挙げておきたい。豊比咩神社のほかの論社は高良大社への合祀説だが、同様に国府八幡宮も高良大社に合祀された可能性もある。なぜなら、高良大社は相殿に八幡神を祀っているからである。高良内八幡神社は別名大谷八幡宮であり、創建不詳ながら、高良山麓に鎮座して国府から比較的近いことで論社とした。
豊前国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
宇佐神宮◎ | 一宮 | 725 | 伊予国の八幡神社 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |
位登八幡神社◎ | 郷社 | 不明 | 571 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |
篠崎八幡神社◎ | 県社 | 584 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
大富神社◎ | 県社 | -前93 | 672 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |
惣社八幡神社 | 総社・郷社 | 不明 | 不明 | 国府八幡宮 | ★★★★★ |
宇佐神宮周辺の神社は宇佐神宮で代表した。位登八幡神社は元は豊日別神社として豊日別命を祀っていたが、571年に敏達天皇の勅命により応神天皇を合祀。篠崎八幡神社も敏達天皇の勅命により創建時から八幡神を祀る(730年に宇佐神宮からあらためて勧請)。大富神社は元は宗像大神を祀るが、672年に八幡神・住吉神を合祀。国府は京都郡みやこ町にあり、ここにある惣社八幡神社は創建も八幡神の合祀年代詳細も不明だが、平安時代に八幡神を合祀したとされる。
豊後国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
奈多宮 | 県社 | 729 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | |
大原八幡宮 | 県社 | 680* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★★ | |
宮砥八幡社 | 郷社 | 694* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
香々地別宮八幡社 | 県社 | [717-724/858]* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ | |
柞原八幡宮 | 一宮 | 830 | 宇佐神宮 | 国府八幡宮 | ★★★★★ | |
若宮八幡社 [大分市上野町] |
県社 | 1196 | 鶴岡八幡宮 | 中世国府八幡宮 | ★★★★★ |
奈多宮は神亀6年(729)に宇佐神宮大宮司であった宇佐公基により創建。858年創建説もある。大原八幡宮は680年に宇佐の鷹居の神と名乗る神の神託により創建とする。時代的にやや矛盾かもしれないが、勧請ではなく神託による創建なので、既に宇佐に示現していた神がそう名乗る可能性はある。宮砥八幡社は持統天皇の勅命により宇佐神宮から勧請とするが、宇佐神宮よりも古く矛盾。香々地別宮八幡社は養老年間(717-724)に宇佐神宮から勧請とするが、宇佐神宮よりも古く矛盾。若宮八幡社は建久7年(1195)大友氏初代当主の能直が鶴岡八幡宮を勧請。
肥前国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
千栗八幡宮◎ | 一宮 | 724 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | ||
亀山八幡宮 [佐世保市] |
県社 | 675* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★★ | |
宇佐神社 [小城市三日月町] |
807 | 宇美八幡宮 | 国府八幡宮[論] | ★★ | ||
高木八幡宮 | 1145-1151 | 中世国府八幡宮[論] | ★★★ | |||
龍造寺八幡宮 | 郷社 | 1187 | 鶴岡八幡宮 | 中世国府八幡宮[論] | ★★★ |
千栗八幡宮は八幡神の神託により創建。亀山八幡宮は白鳳4年(675)の創建時に宇佐神宮より勧請となっているが、宇佐神宮よりも古く矛盾。ただし、天武天皇の勅命による八幡宮創建は全国的に何社かあるので、その可能性はある。小城市三日月町の宇佐神社は大同二年(802)七月に西海道観察使が病気になり、宇美八幡宮に祈願をしたところ、たちまち回復したので宇美八幡宮を勧請して創建。社名が宇佐神社となっているのは、流罪によりこの地にいた僧が1179年に宇佐神宮の代わりに社殿を建立したとされることから。肥前国府は佐賀市大和町で国庁跡は一宮である與止日女神社の南南東1km強にあり、宇佐神社はここから南西5kmくらいの場所にある。一般に肥前国府八幡宮とされる高木八幡宮は平安末期の創建であり、中世国府八幡宮と考えられるかもしれないが、本来の国府八幡宮ではない。また、ほかに周囲に有力な八幡宮もなく、與止日女神社にも八幡神は祀られていない。中世国府八幡宮としては、龍造寺氏の祖が鶴岡八幡宮から勧請した龍造寺八幡宮も考えられるが、この2社の関係については調査自体行っておらず割愛したい。
肥後国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
山北八幡宮 | 709* | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | ||
藤崎八旛宮 | 三宮 | 935 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 | ★★★★★ |
山北八幡宮は元明天皇の勅命により和銅二年(709)に宇佐神宮を勧請して創建とするが、宇佐神宮よりも古く矛盾。ただし、肥後国はほかに古い八幡宮が存在しないように思われるため相対的には充分に古いことと、天皇の勅命であって信憑性は高いので宇佐から勧請の部分のみ間違いという可能性も考えられる。肥後国府は変遷したとされるが、いずれも熊本市の中心部かそれに近い場所と思われ、藤崎八旛宮以外に国府八幡宮の候補はないように思われる。なお、山鹿市の石藤崎八幡宮は藤崎八旛宮に向かう神輿が立ち寄った場所に同じ935年に創建されており、上益城郡甲佐町の津志田八幡宮も同じ935年に創建されている。
日向国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
今山八幡宮 | 県社 | 750 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮 | ★★★★★ | |
巨田神社 | 郷社 | 831 | 1093 | 宇佐神宮 | 国府八幡宮[論] | ★★ |
日向国の国府は西都市であり、二宮である都萬神社近くには国府跡がある。この付近はかなり広範囲にわたって八幡宮が存在せず、二宮や総社その他の有力神社にも八幡神は祀られていない。国府跡から南南東4.3kmの新田神社は郷社で旧称正八幡宮と呼ばれるが祭神は彦火火出見のみとなっており、鹿児島神宮の分社と思われる。一番近い八幡宮は国庁跡から南6.2kmの佐土原町にある郷社の巨田神社である。元は天太玉命を祀っていたが、寛治7年(1093)当地周辺に宇佐神宮の荘園である田島荘が設けられたため宇佐神宮から勧請して巨田八幡宮と称した。国府跡から遠いが、国府から続く平野部の最南端に位置しており、国府八幡宮の可能性があると考える。もし、そうでなかった場合、おそらく国府八幡宮は存在しないと考える。
大隅国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
投谷八幡宮 | 郷社 | 708 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | ||
鹿児島神宮 | 一宮 | 708 | 931 | 不明 | 国府八幡宮 国分八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
投谷八幡宮は和銅元年(708)八月十五日の創建と伝えられ、鹿児島神宮の別宮。しかし、祭神は通常の八幡神である。別宮となった時期、八幡神を祀った時期ともに不明だが、応神天皇を祀るだけでなく、鹿児島神宮系正八幡宮の象徴である彦火火出見が祀られていないので、最初から通常の八幡神を祀っていた可能性も高いし、少なくとも鹿児島神宮が八幡神を祀った時期よりは早い可能性が高いと考える。鹿児島神宮は創建当初は彦火火出見(=仲哀天皇)、豊玉姫(=神功皇后)のみが祭神で、現在でも主祭神はその二柱であり、古くは宇佐神宮への対抗意識から正八幡宮と称していたが、931年に八幡別宮となった(宇佐神宮か石清水八幡宮か不明)ので、現在では相殿で八幡神を祀っている。
薩摩国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
加紫久利神社 | 県社 | 702 | 大富神社 | 一国一社八幡宮 | ★★★★ | |
新田神社 | 一宮 | 725 | 931 | 石清水八幡宮 | 国府八幡宮 | ★★★★★ |
式内社調査報告によると、加紫久利神社は大宝二年(702)薩摩建国と同時に隼人征討軍に参加した加志君和多利が出身地の大富神社の祭神を祀ったものとしており、それは宇佐の三女神(おそらく比売大神=宗像三女神)としているが、大富神社は元は宗像三女神を祀る神社だが672年の時点で八幡神・住吉神を合祀している。宗像大神、八幡大神、住吉大神の三柱と宗像三女神を混同した説明であり、大富神社からの勧請であれば、この三柱の神を勧請したことになる(宗像大神、八幡大神、住吉大神は全て三位一体の神であり、元は三柱✕3だが三位一体の総称で○○大神なので、全体で三柱でよい)。新田神社は元はニニギを祀っていたが、931年に石清水八幡宮の別宮となり、江戸時代まで八幡神を祀っていた。肥後国の藤崎八旛宮や大隅国の鹿児島神宮などと同時期に八幡別宮となり、これらは八幡五所別宮と呼ばれる。
壱岐国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
白沙八幡神社 | 式内・郷社 | 不明 | 不明 | 宇佐神宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
箱崎八幡神社 | 名神大社・村社 | 不明 | 不明 | 筥崎宮 | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
本宮八幡神社 | 名神大社・村社 | [782-806]* | 一国一社八幡宮[論] | ★★ |
白沙八幡神社は元は玉依姫を祀り、後に八幡神を勧請するが、勧請年代不明。箱崎八幡神社は式内月読神社および高御祖神社とされるが、八幡神の勧請年代不明。本宮八幡神社も創建、勧請年代不明だが、延暦年間(782-806)の勧請説がある。壱岐国は由緒・創建についてほとんど不詳であり、さすがに比定のしようがない。
対馬国
社名 | 社格 | 創建 | 勧請 | 勧請元 | 比定結果 | 確度 |
厳原八幡宮神社 | 一宮 | 677 | 一国一社八幡宮 国府八幡宮 |
★★★★★ ★★★★★ |
厳原八幡宮神社は天武天皇の勅命により八幡神を祀って創建した。もう1つの一宮である海神神社も江戸時代までは八幡神を祀っていたが、それ以外は不詳。